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きょう聖(ねこミミ)

きょう聖(ねこミミ)

【小説】ねこミミ☆ガンダム 第3話 その2




総選挙でネコミミ党が第一党に躍進し、日本国総理大臣にはネコミミ女王が就任した。
ネコミミ総理がはじめに行ったのは行政機構の改革であった。
総理大臣の上に〈王〉という新たなポストを設け、自ら就任。王は、総理より、はるかに強い権限を有する。就任には天皇の認可がいるが、それは日本を支配するために、自らの地位をあえて天皇より下に置き、国民を懐柔する女王の政略であった。
次に行ったのが国名の変更だった。国名は〈ネコミミ☆ニッポン〉に改められた。
こうして日本は滅んだ――。2世紀連続2度目のことであった(明治革命を含めれば3度目という見方もある)。
ちなみに、天皇陛下は、この騒動に紛れて人知れず〈人間宣言〉をしていた。



〈ネコミミ☆ニッポン〉の初代国王となった女王は、総理公邸の上に、伝統的な天守閣様式の国王室を増築させた。可能な限りの贅を尽くした洋風の室内は、ニッポン国王としての女王の執務の中心となった。
重そうな木の扉の前で、ネコミミ将軍は声を張った。
「ヴァネッサ、入ります」
警備が扉を開けると、将軍は執務室の中へ入った。
大きな執務机に身を埋め、書類をにらみつける女王。そのまわりには家臣と長官がいた。
「長引いておられますな」
そういうと将軍は、あいているソファーに腰を沈めた。
「もう予定の時間か」女王は顔を上げた。「やれやれ。仕事が大幅に増えてしまった。内務で手こずってな」
持っていた書類の束を机の上に放り出した。
「安全保障会議は、また今度にいたしましょう。女王さまの ご威徳で、四海は波平らか」
「不敗将軍を待たせるわけにはいかんな」女王は、いたずらっぽく口の端を歪めた。
「なんの」
「すぐに終わらせる。お前も聞いておれ」
女王は、机の上に散らばった書類に目を落としながらいった。「大変な財政だな」
ネコミミ長官が数枚の書類を机上に置いた。
「前政権の計画では、財政の完全な健全化に約五百年かかります」
「女王さま」ネコミミ家臣が手にしていた1枚の書類を見せた。「まだ正確な数字ではございませんが、このようなデータも……」
書類を一瞥して、女王は不意に息を吹き出した。
「フッ……! こんな手の込んだ冗談を仕込んでまで、私を笑わせたいのか」
「冗談のほうがよろしければ、そのように――」
女王は、家臣の手から書類を受けとり、食い入るように目を通した。と、突然、机に右拳を叩きつけた。だれに言うまでもなく声をあげた。
「隠し借金が追加であと2京円だと!? ふざけてるのか!!」
長官がいった。「GDP比の実に5千パーセントを越えます。現代の宇宙に、このような国家があるとは驚きです」
「増税するしかない、か……」
家臣がいった。「しかし、支持率に大きな影響を及ぼす可能性が……」
「いや、今は国内支持率よりも国際公約の遵守が優先だ」女王はいった。「国連をはじめとした国際社会は、ネコミミ☆ニッポンの動向を注視しているからな」
長官がいった。「よいお考えです。ネコミミ族を中心とする初の国家は、国際協調を重視するというメッセージにもなります」
「うむ。では、消費税は百パーセントとする」
女王は腕を組んだ。重要な決裁を下すときのくせだった。「が、激変緩和策として、当面1年間は税率を80パーセントにとどめる」
「しかし、経済への悪影響や、困窮者が多く出る可能性が……」
家臣をさえぎり、女王はいった。
「困窮者にはネコミミフードを配給する」
長官がいった。「たしかに、ネコミミフードなら全国民の百年分に相当する備蓄があります。これは名案です」
家臣がいった。「困窮者対策として十分でしょう。さすが女王さまです」

会議の方向性が決まった時、不意に執務室の扉がノックされた。
現れたのは緊張ぎみの秘書官だった。
「し、失礼します! 将軍に遠距離通信が入っております!」
女王らと顔を見合わせたあと、将軍は秘書官にいった。
「女王さまの会議を中断させてまで、俺を呼び出せる御方とは……。どなたであろうな」
秘書官は額に汗しながらこたえた。
「本星のお母上です!!」
将軍は、頭の耳を跳ね上げ、驚いた表情で女王らを見た。
女王は幾分かやわらいだ表情になっていった。
「病身の母を待たせるな。いけ」
「も、申し訳ございません……」
将軍は全身に汗が噴き出るのを感じた。
「こちらはまだ時間がかかる。ゆっくりしておれ」
手を振ってうながす女王に頭を深く下げ、将軍は執務室を出た。

将軍は、秘書官をともなって長い廊下を歩いた。早くなる鼓動は抑えることができない。
用意された通信室に入った。壁一面が巨大なディスプレイになっている。そこには、懐かしい母の顔が大きく映し出されていた。
母はいった。「ヴァネッサ、息災ですね」
「母上! 手術の経過はいかがですか!?」
「案じることはありません」母はやさしく微笑むといった。「あなたこそ無理を重ねていませんか」
ネコミミ族は高齢になっても若い容姿を保つ。が、この時の母の顔には、長い闘病によるやつれが見えた。
将軍は胸を張ってこたえた。
「ご安心を。我らが軍団、いまだ敗北を知りえません」
「そうか」
母の顔を見て、将軍は、久方ぶりに心が安らいでいるのを感じた。
「母上。この度、地球という星の大陸のすみにある小国を併合いたしました。その後の人気投票によって、女王さまが最高指導者に選ばれ、今まさに理想国家の建設のために奮闘しているところです」
「ほお……」母は感嘆の息をもらしら。
「女王さまは、この地にネコミミ王国、万代の繁栄の礎を築かれる、遠大なお考えなのです」
「すばらしいことです。我が家門から、女王さまのお側で活躍するものが出ることは、この上ない栄誉です」
「母上には、もっとお喜びいただけるよう、さらなる活躍をご覧にいれましょう」
「それはそれは。大事業ゆえ、無理だけはしないよう」
母は、相好をくずして喜んだ。
「母上! 喜んでいただけることがまだございます。この星には、なんと男が30億人以上もいるのです! 孫の顔を見せられるのも遠い話ではございませんぞ!!」
「ほほほ……」母は口元を押さえて笑った。「そのような大事、急がなくてもよい」
「いえいえ」
母は、将軍の顔をまじまじと見るといった。
「あなたも、もう少し退くことを覚えてくれたら、かわいい顔のままでいられたのものを……」
過去の戦いで、将軍は右目に大きな傷を負い、視力を失っていた。しかし、将軍にとって顔の傷は勲章のようなものでしかない。
「30億人もいるのです。これがいいという男もいるでしょう。なに、いざとなれば有無を言わせません!」
親子はそろって笑った。
母はいった。「私は、もう十分に満足しました。これからは、あなたが自分の人生に満足する番です」
「何をおっしゃいますか、母上! これからです! この地を足掛かりとして、ネコミミ王国の威光を、宇宙の果てまで、あまねく届けてごらんにいれます!!」
母は目を細めてうなずいた。その顔は、美しかった若かりしころを思い起こさせた。
「ですから、母上には、もっともっと長生きしていただかなければ……!!」
「はいはい」
そのあと、将軍は会議のことも忘れ、母と語り合った。



試験休み中――
英代は、午後からNPO法人〈雲ヶ丘ガーディアン〉の拠点に詰めていた。
午後2時――拠点の会議室にはスタッフら20人ほどが集まって、国会のテレビ中継を見守っていた。
この日、採決される予定の法案は、国名を変える法案、消費税を増税する法案など、重要なものばかり。今は、採決前の最後の質疑応答が行われていた。
「あっ! 杏樹羅さん!!」
英代はいった。テレビの画面には、議場の質問者席にのぼるスーツ姿の杏樹羅が映し出された。
――わぁっー!! ドンドンドン!! パフパフッ!!
テレビを見ていたスタッフらが一斉に歓声をあげる。たいこや笛を鳴らした。
杏樹羅はマイクの前に立った。議場も会議室も静かになる。
杏樹羅は、よく通る声でいった。
「先の選挙で、無所属として初当選させていただきました、竹内杏樹羅と申します。まずは、私のような新人議員に、このような質問の機会を与えてくださり感謝いたします。
私が代表をつとめるNPO法人は、総理とは浅からぬ因縁がございますが――」
議場が笑いとヤジで騒然となった。
数少ない日本人の議員はやんやと喝采するが、大多数のネコミミ族の議員はここぞとばかりに非難の声をあげた。
「マシンドールを返せ!」「テロリストの親玉!」など。一方的な中傷は、しばらく止みそうにない。
議長が注意を連発して、やっと声が小さくなってきた。その時、タイミングの悪いネコミミ議員のヤジが議場にひびいた。
「はやく結婚して子どもつくれよ!!」
――ドッと、再び議場がわいた。
笑い声が静まるのを待って、杏樹羅がきっぱりといった。
「私は、すでに結婚して3人の子どもがおります。ネコミミ族の議員さんには子どもがおられるのでしょうか。おられるなら日本人とのハーフかしら?」
またも、わき上がる議場。ヤジを飛ばしたネコミミ議員は身を小さくした。
やっと議場が静まってきたところで、杏樹羅が口を開いた。
「――そのような因縁はさておきまして、この度は政府が提出された重要法案について、国民を代表して質問いたします。
まず、国名を〈ネコミミ☆ジャパン〉に改めるという提案です。日本国という国名は、すでに国民に深く浸透しており、十分な議論もせず、これを変えることには、とうてい賛成できるものではありません。たしかな文献はございませんが、日本という国名は紀元前より伝わるものとする説もございます。このような伝統ある国名をにわかに変えることに、違和感を覚える国民は多くおります。総理の見解をうかがいます」
ネコミミ女王は、官僚の用意したであろう書類に目を落としながら早口で答えた。
「日本国という名の由来には諸説あることは理解しておる。しかし、この度、ネコミミ族と日本民族による新国家の出発にあたり、両民族の友愛のしるしとして、国名を改める判断にいたった。〈日本〉を〈ジャパン〉として〈ネコミミ〉の下に配したのは、きたるべきグローバル化への対応と、先住民族への配慮である。なお、従来の〈日本〉という呼称に〈ネコミミ〉を合わせた〈ネコミミ☆日本〉という名称の使用も禁じていない」
杏樹羅はいった。「ぜひ、先住民の意見も大事にしていただきたいと思います。――つぎに、総理は消費税を百パーセントまで段階的に上げる法案を突如、提出されました。これは、あまりにも唐突です。わが国には1京円の借金があり、つい先日も2京円の隠し借金が見つかったばかりです。これについては前政権の関係者に猛省をうながすところです。しかし、何の議論もないままに消費税の大増税を決めることは、とうてい納得できるものではありません。経済対策や困窮者対策は、どうされるのか。政府には十分な議論を求めるとともに、最高責任者である総理の答弁をお聞かせください」
「わが国の借金は、その金額、GDP比ともに世界最大の額のぼり、宇宙のあらゆる国家のなかでも突出している。早急な財政再建化は、まったなしの状況である。困窮者対策としては、完全栄養食である〈ネコミミフード〉の配給をすでに決めている。一部の自治体では配給を開始し、評判はおおむね好評であるとの報告を受けている――」

長い質疑が終わった。
中継を見ていた英代はいった。
「もっとこう、激しくできないんですかね。髪を引っぱったり……」
「できるわけないよ……」夏恵來がいった。
「はじめてにしては、いい質問じゃないでしょうか」と、ニア博士。
法案の採決にうつった。
杏樹羅は反対票を投じるも、圧倒的多数で法案はあっさり可決された。
テレビの国会中継が終わると、英代はいった。
「私たち、これからは〈ネコミミ☆日本人〉なんですね……」
「ブフッ……!!」
女性スタッフの松浦さんが噴き出した。普段は物静かなのに、こんな時だけツボに入ってしまったのだ。

会議室では、スタッフらが残り、これからについての対策会議をすることになった。
対策会議といっても大げさなものではない。あそこの店は安いとか、あそこの店は、おいしいのにボリュームがあるとかいった、要するに井戸端会議だ。
英代は、急須からいれた緑茶をみなに行き渡らせた。普段、NPOではやることがないので、自然と雑用が仕事になっていた。
お茶菓子には盆に山積みされた〈ネコミミチョコレート〉を出した。最近、ネコミミ軍の兵士らが、登下校中の子どもたちに通学路で配っているものだ。子どもの人気を得るのが狙いらしい。
試験休み中の英代は、小学生の列に混じって、チョコレートをもらってくるのが日課になっていた。いくつか配布ポイントをまわれば、ひとりでは食べ切れない量になった。
味はかなりおいしい。お菓子大国、日本人の舌をうならせるとは、敵ながらあっぱれであった。
とはいえ、英代までが、ネコミミ軍になびいたわけではない。こうして英代がチョコをもらってしまえば、子どもたちには行き渡らない。ネコミミ軍の人気取り作戦は失敗したのだ。
「まったく、どうなっちまうんだろうな。消費税も上がって……」
夏恵來が、持っていた袋からネコミミフードをつまみながらいった。
「クスクス……」
女性スタッフの後藤さんと松浦さんが、そんな夏恵來を見て笑った。
「なんだよ」
「だって……」後藤がこたえた。「夏恵來、最近、肌がきれいになったから。彼氏でもできたんじゃないかって……」
夏恵來は、持っていたネコミミフードのひとつを投げつけた。
「あだっ!」後藤の額に当たったネコミミフードが大きく跳ねて床に落ちた。
「食べものを粗末にした!」
後藤の抗議に夏恵來はいった。
「いいんだよ! たくさんあるんだから!」
夏恵來の肌がきれいになったのは、ネコミミフードによって、長年のジャンクフード生活から解放されたせいだった。
ネコミミフードとは、大豆ほどの大きさの固形の保存食だ。これと水さえ飲んでいれば生きていけるという完全栄養食らしかった。
消費税増税にともなう困窮者対策として、政府の指示で自治体から配給されたものだった。
フードは、市役所などで、いくらでもらえるという。「もらえるものは何でももらう」が信条である英代の母は、3年分もの量をもらってきた。英代の家の一画には、フードが山積みにされている。
味はまずくはない。が、特においしいというものでもなかった。飽きにくいよう薄味につくられていた。
英代の母は、これで昼食をつくる手間から解放されたと喜んだものだ。が、英代としては、これから給食のない日の昼飯が必ずフードになるかと思うと気が重かった。
「これからは毎日、こいつを食べることになるかと思うと……」
と、いいながら夏恵來のフードをつまむ手はとまらない。空腹時には謎の中毒性があった。
「私はかまいません」
先ほどから、英語で書かれた分厚い本にかじりついているニア博士が、フードをつまみながらいった。「食事に時間を取られないのは助かります」
「……そういった本を買うにも消費税はかかるんですよ」
夏恵來のいうことに、ニアは顔をあげた。
「それは困ります」
「でも、仕方ないですよね」英代はいった。「女王は、選挙で選ばれたんだから……」
ニアがいった。「民主主義は最悪の政治である。これまでの全ての政治体制を除けば……」
「ワシントンですね」
「チャーチルです」
「そうだ!」夏恵來が力強くいった。「だからこそ、僕たちが声をあげていかないとな!」
「……はい!」
夏恵來は、みんなに呼びかけた。
「では、週末の消費税増税反対デモは予定通りに行う! 異議は?」
『ありませーん!』みんなが声をそろえた。
「今回はあくまでも平和的なデモだ。ネコミミ女王は民主主義に則ると言っている以上、こちらも民主的にいこう。杏樹羅さんも、デモは穏便に行うようにと言っている」
『はーい!』
「賛同者の連れ出しは大歓迎だ。だけど、彼氏はひとりまで! フリーの男友だちなら何人でもかまわないぞ!!」
「あはは!」「やだー!」
みんな楽しそうだ。国が滅んだのに不謹慎のようだが、あまり思い詰めても身がもたないのだ。
机の上の盆に山積みにされていたネコミミチョコレートは、そのあと5分でなくなった。
「このチョコおいしいねぇ。もっともらってきてよ」
という夏恵來に、英代はこたえた。
「大変なんですよ。けっこう……」
「そうなの? あはは」
炎天下、小学生の列にならんでチョコを集める大変さを、夏恵來はわかってないらしかった。
週末、デモは予定通り行われた。
英代は均を連れ出したかったが、取材などがあって出られないという。だが、もし連れていったら、お姉さんたちに「彼氏だ!」などと茶化されることは目に見えている。かえって、よかったかもしれなかった。



夏休み中――
よく晴れた日の午前のことだった。所属不明のマシンドールが街をふらついているので危なくてしかたない、という相談が雲ヶ丘Gまで寄せられた。
本来、そういった問題はネコミミ軍の管轄であるはずだが、政府や軍は、ちっとも動いてくれないという。罠である可能性もあったが、英代はマシンドール〈シロネコ〉を出動させた。
いかついマシンドールが、商業地区の広い道路をわが物顔で歩いている。何度か肩をビルの壁にぶつけていた。酔っぱらいだろうか。
「来たわね……。山本英代……!」
マシンドールから、ネコミミ族らしい女の声がした。しかし、その声をどこかで聞いたことがある気がして、英代は胸騒ぎがした。
「その声……。まさか……」
「わかるわよね……。担任だものね」
「ネコミミ先生!? な、なにしてるんですか!!」
コックピットの空間モニターには、ネコミミ先生の顔が映し出された。
「ネコミミ先生ではありません」
「マリー先生」
「女王がね、言ってくれたのよ……」ネコミミ先生はいった。「マシンドールに乗ってシロネコを倒せば、留学のための資金を援助してくれるって……。ほら、私、以前から海外の大学で、教育学を勉強するのが夢だったでしょう?」
「そんなことのために、先生が、生徒とマシンドールで戦っていいと思ってるんですか!?」
先生は声をあげて反論した。「そんなこと!? とっても大切なことでしょ! だいたい、女ひとり、知らない土地で生きていくつらさ、あなたにわかって!?」
「先生……。それ、絶対、だまされてますって……」
「それも考えたけどっ……! もしかしたら、ワンチャンあるかなって……!」
うつむいていう先生に、英代はいった。
「ワンチャンないですよ……」
先生は顔をあげた。「ウソだってかまわない……! どうせ、この世の中は、いろいろあるのよ! 喰らいなさい! 社会の厳しさ! ネコミミ・ティーチャー・パンチ!!」
先生の操るマシンドールが大きく踏み込み、英代のシロネコに向かって拳を突き出した。
――が、遅い。
10秒、20秒たって、先生のマシンドールの腕は、やっとひじが90度なった。
マシンドールの巨大な拳に、すずめが2羽、とまった。2羽は、つがいだろうか。たがいの羽を毛づくろいするように突きあう。と、すぐに飛び去っていった。微妙に動いている拳の上は、居どころが悪かったのだろう。
先生は声をあげた。
「マシンドール普通免許の教科試験で、史上初の満点を叩き出した私の攻撃、とくと味わいなさい!!」
言い終わっても、ネコミミ先生の攻撃はとどかない。
今度はカラスが拳にとまった。カラスは糞をした。マシンドールの磨かれたような装甲に、ベッタリとした白い汚れがついた。カラスは飛び去っていった。
「うおおおおぉぉぉぉっ!!」
先生は叫んだ。間が持たなかったのだろう。
やっと顔の近くまできた拳をつかむと、英代のシロネコは、先生のマシンドールを一本背負いで投げ飛ばした。巨体が浮いて夏の陽をさえぎる。
先生のマシンドールは、背中から道路に勢いよく落ちた。
「グエッ!!」
「先生、遅すぎます」
先生のマシンドールは、よろよろと腰を押さえて立ち上がった。
「ざ、残念……。実技は、何度やっても不合格だったのよ……。でも、このパンチ、当たれば強いんだけどね。教科は満点だったから……」
「マリー先生! 教師が生徒に戦いを挑んでいいと思ってるんですか!!」
モニターに映る先生は困ったようにいった。
「先生も迷ったのよ。でも、学校がなくなった今となっては、正確には、もう教師じゃないし……。夢だった留学のための資金のこともあって……。女王の使者の言うことを断りきれなかったのよ……」
「学校がなくなった? 何いってるんですか」
「え、聞いてない? 雲ヶ丘中学校が廃校になるって」
「は?」
「連絡したけど。連絡網で」
「えぇ!?」英代は思わず声をあげた。「聞いてませんよ!」
「おかしいわね。連絡網で、報告は行き渡っているものと……」
「今どき、だれも連絡網なんて使いませんよ……」
連絡網とは、あいうえお順で並べられたクラスメイトの名前の順に、伝言ゲームのように電話で連絡をまわす連絡方法だ。今は電子メールで一斉送信するのが一般的なので、ほとんど使われていなかった。
「いいじゃない連絡網。今までも何度か使ったけど。温かみがあって」
「え? うちは一回も連絡まわってきたことないんですけど……」
「じゃあ、いつも山本さんの前で止まってたのね」
「何ですか、それ……。仲間はずれみたいで地味にショックです……」
先生は、気を取り直したような顔でいった。
「と、まあ、そんなことで先生にもいろいろあって、つい、ネコミミ王国の誘惑に乗っちゃったのよ」
「ダメですよ。ネコミミ王国は人をだましたりするんです」
「そうね……。やっぱり、ワンチャン狙ったりせず、地道にいかないとね……」
「そうですよ」
先生は思い出したようにいった。「あ、吉永裕子さんのこと聞いてる? なんでも夏休み中に進学塾に通って、がんばって勉強してるって」
「聞いてます。ベストセラー漫画家のドラゴン・ピーチ先生の塾ですよね」
「よかったわねぇ。あんな事件もあって、引きこもっちゃうんじゃないかって心配してたのよ」
「私も安心しました。前から夢だった大学の医学部を目指して、ダメもとでも挑戦してみるって。張り切ってました。登校日には来るって言ってます」
英代の中学は、夏休み中にも学校に出なければいけない、登校日という謎の習慣があった。
「まあ、学校はもうないんだけどね……」
「あ……」
「……とにかく、元気になってくれてよかったわ。医者を目指すなんて素敵な夢じゃない。山本さんは将来の夢は決まってるの?」
「えー……」
はっきりとは決まっていなかった。将来がどうなるかもわからないのだ。しかし、英代は何となく考えていたことを口にした。
「特には……。でも、将来は福祉系の大学に通えたらいいかなって……」
「あなたらな、きっとできるわ!!」
先生は力強く励ましてくれた。
英代は、不意に思い付いていった。
「先生! 裕子の行ってる進学塾で、先生も働かせてもらえばいいんじゃないですか!?」
「え? 考えたことなかったけど……」
「ドラゴン・ピーチ先生の塾は、独自の教育法で、すごい効果が出てるっていいますよ。マリー先生は教育学を勉強したかったんでしょ? なら、海外の大学でなくても勉強ができるじゃないですか!」
「そうね……。留学しなくちゃ勉強できないってわけじゃないし……。いい考えかもしれないわね!」
「そうですよ! それなら教育の仕事をしながら、留学資金だって貯められますよ!」
先生は明るい表情になっていった。
「ありがとう! 山本さん! あなたのおかげで、私にも新しい目標ができたわ!!」
「先生……!!」
「これから世の中も大きく変わって、いろいろあるだろうけど、お互い負けないで、がんばっていきましょうね!!」
「はい!!」
ふたりは励まし合って別れた。先生のマシンドールは、何度かよろめてビルに肩をぶつけた。しかし、その足取りは、いくぶんか、しっかりしてきたようだった。




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